日本人離れした容姿スタイルで一世を風靡した山本リンダ

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エキスパ

日本人離れした容姿スタイルで一世を風靡した山本リンダ

デビュー曲「こまっちゃうナ」が大ヒットして一躍有名に

なりました。

その山本リンダはアメリカン人の父と日本人の母との間に

生まれたハーフでした。

道理で背も高いし、スタイルの良いし、もちろん顔も可愛い

ハーフなら納得です。

今回はこの山本リンダをまとめてみました。


生年:1951年3月4日(67歳)

本名、稲葉 あつ子(いなば あつこ)旧姓、山本(やまもと)。

身長168cm

北九州市に生まれる。父親はアメリカ人、母親は日本人のハーフ

「リンダ」という芸名は、アメリカ人の父親に生前付けられた愛称である。

父親はアメリカ軍の軍人だったが、山本が1歳の頃に朝鮮戦争で戦死した。

そのため女手一つで育てられ、家庭は非常に貧しかった。


転機

1962年(昭和37年)に雑誌『装苑』のモデルオーディションを受検した

ことをきっかけに、人気モデルとして活動する。

まだ11歳でした。よく決心しました。誰か勧めた人がいたんでしょうね。

今年(2018)芸能生活56年ですか!素晴らしい!

歌手デビュー

高校在学中の15歳の時に、遠藤実作詞・作曲のシングル「こまっちゃうナ」

で歌手デビュー。同曲が大ヒットとなり、国民的アイドルとして全国

に知られるようになった。

♪こまちゃうな♪デイトに誘われて♪

管理人ネタ次郎は50年たったいまでも歌詞がうかんできます。

歌詞といい、リンダの太もも丸出しのミニ姿、長身、衝撃でした。

これが大ヒット、国民的アイドルになりました。

仮面ライダー

現在では仮面ライダー、知らない人はいませんが、当時1971年(昭和46年)

このころは知名度は低く、山本リンダが出演で人気が高まった。

第二次ブーム

1972年、セクシーな大人の歌手にイメージした「どうにもとまらない」が大ヒット

紅白歌合戦にも出場した。

当時の売れっ子作詞家・作曲家であった阿久悠・都倉俊一のコンビによる

山本リンダ再生は見事に大当たりしました。

特に作詞家”阿久悠”はヒット曲連発の魔術師のような存在でした。

最愛の母事故死

リンダを支えてくれた最愛の母が50歳という若さで、自宅浴室で事故死したそうです。

大変なショックだったでしょう。『狙いうち』のヒット後でした、1973年でした。

思わぬ母親の突然の死について、リンダはこう語っている。

「大阪の人なので元気なのですが、もともと内臓がよくなかったんです。母はそれこそ

40歳代半ばぐらいから『これでも長生きしてるんよ』といつも言っていた。

私も母を見ながら、今年も元気でいてくれてるって、そんな思いで(励まされていた)。

母が亡くなったときは、歳は若かったけれど、私のために一生懸命生きてくれたって。

そんな(感謝の)思いの方が強かったです」

結婚

2001年(平成13年)5月3日、7歳年上の常葉大学教授稲葉光彦と結婚。リ

ンダにとってこれが初婚である


時事ネタ次郎より

結婚めでとうございました。女性が幸せになることは”めでたい”ことです。

2018年現在も山本リンダは健在で、スタイル抜群を維持しながら

むちむちのミニ姿で踊って歌って10代のお姿そのままですな。

うれしい限りです。このまま70代後半まで現役頑張ってくだされ!!

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